5月26日(土)、歌手の西城秀樹さんの告別式が青山葬儀所で営まれました。
私の家内が中学生時代に西城秀樹さんの大ファンであったことは私もよく知っているのですが、
たまたま私もその日の昼過ぎに人と会う約束があったもので外出ついでにということで、
家内といっしょに青山葬儀場の様子を見てみようとなったのでした。
家内としてはやはり最後のお別れという気持ちもあったでしょうが、
私には芸能人の葬式ってどんなものだろうという野次馬的興味しかありませんでした。
地下鉄乃木坂駅に付いたのは午前11時半ごろでしたが電車を降りた時点で、
すでに喪服姿の50代~60代とおぼしきご婦人方が数名ホーム上にいらっしゃり、
「みんな秀樹の葬儀に行くのかね。」なんて軽口を飛ばしていたのですが、
外に出てみたら何とまあ、通りの向こうの葬儀場にはすでに何千人という方々が列を作って並んでいました。
もはや列がどこから始まってどこで終わるのかがまったくもってわからない状態です。
見える範囲の歩道は人で埋め尽くされており、
歩道上の人々の列は二重か三重に折れ曲がって並んでいるようでした。
そして、並ぶのをあきらめた人や私たちのようにただ見物に来た人たちは、
通りの反対側から葬儀の様子を見守っていましたがそれも数百人に上る人数だったと思います。
気が付けば野口五郎さんが読み上げる弔辞がスピーカーを通して外にも聞こえていました。
そして、葬儀場の正面には、若い頃の西城秀樹、野口五郎、郷ひろみの三人が一緒に並んでいる大きな写真が飾ってあり、
「あぁ、みんな若かったんだなあ。」などと、彼らの全盛期を知る世代の一人としてちょっと感傷的になったりもしたのでした。
私はそのままアポの場所に向かいましたが、
家内はしばらくそこに残り霊きゅう車が出てくるのも見送ったらしいです。
その日の夕方のニュースで当日の参列者の数は1万人以上と報じられていましたが、
やはり偉大な歌手だったんですね。
失礼ながら昔は西城秀樹さんのことをそんな風に思ったことはありませんでしたが、
通りをはさんで見ている人たちの中にも「ヒデキーッ、ありがとー!」と泣きながら絶叫している人もおり、
こんなにも人々に愛されていたのかと、私にとっては驚きでありとても新鮮な経験でした。
その昔「明治は遠くなりにけり」という言葉がはやったことがありましたがまさに「昭和は遠くなりにけり」です。
昭和の時代に育った身としてはここ数年、
昭和のスターたちを見送ることが増えたなあと寂しく感じてはいましたが、
これまでは私より一回り以上上の世代の方々の話でした。
しかし、今回の西城秀樹さんは年齢も近くもはや他人ごとではない感じです。
参列者1万人以上という葬儀は初めて見ましたが、
不謹慎にも次に参列者が1万人を超える葬儀になる人は誰だろうなんてことを考えてみました。
家内とともにあの人なら1万人は超えるんじゃないか?
いやいや、あの人じゃないか?などとひとしきりあげつらってみましたが、
ほどなくしてもはや自分の方が先に逝く可能性もあるんだということに気が付いてしまいました。
長生きしなきゃね。