皆さんこんにちは。ナベちゃんこと渡邉誠二です。

昨日、今から13~14年前、某外資系銀行出身者が立ち上げたIT企業がインターネットTVで株式関連の番組をプロデュースしていたという話を書きましたが、
実はその会社はヘッジファンドの設立も狙っていました。私もその外資系銀行で、IT企業創設メンバーと一緒に働いていたので、少し後からその会社に加わり、
番組制作を手伝いながら、運用会社設立に向けた準備作業などを行っていました。

その外資系銀行は、日本におけるヘッジファンドビジネスの草分けの一つと言える存在であり、大手証券会社、信託銀行、投資信託、保険会社などを相手に、
個人投資家および機関投資家向けヘッジファンドのマーケティングとファンド組成を行っていました。その銀行が運用するヘッジファンドは、一つのファンド
が複数のファンドを組み入れる形で運用される、いわゆるファンド・オブ・ファンズ形式のファンドで、運用を再委託されるヘッジファンドの数は10を超えて
いました。その中には、その銀行が育てたとも言えるような新興ヘッジファンドも混じっており、その新興ヘッジファンドが運用する資金の大半が日本からの資金
だったこともありました。そして、その新興ヘッジファンドの経営者兼ファンドマネジャーの年収がウン十億円と聞き、我々日本人スタッフは、「俺たちが集めた
お金を運用して、それほど大した運用成績でもないのに、年収ウン十億だと?」という極めて自然な感情を抱いたのでした。

外資系の金融機関で働いたことのある方なら、誰もが経験していることですが、我々日本人は集金マシーンとして一生懸命に働いて、本国にカネを送り、そして
少しばかりのボーナスをもらうという構図がここにもありました。そして、「年収ウン十億だと?」で抱いた感情が、徐々に、「俺たちだってヘッジファンドやれる
だろ。」という、非常に安易でわかりやすい、そして、悪く言えば子供じみた、考えにつながっていったのです。私にとっても「自分(達)で集めたお金を自分(達)
で運用する」ことが夢でしたし、やってみようと思ったのです。

あの当時、日本人が運用するヘッジファンドは数えるほどでしたし、やりようによっては大きく育った可能性はあったと思います。結末を先に言うならば、我々は
ヘッジファンドの設立まではこぎつけて、途中まではまずまずの運用成績を出していたのですが、設立から半年ほどでライブドア・ショックに見舞われ、親会社で
あるIT企業の不振もあって、その年の秋にはファンドの解散に追い込まれてしまいました。

そんな経験をした私は、いまだに、「ヘッジファンド」という言葉に思い入れがあります。ただ、他人の資金を預かることの責任の重大さや怖さを、その時の経験
で学ばせてもらいました。「運用ビジネス」と一言で言いますが、やはり簡単ではありません。上述のウン十億円稼いでいたヘッジファンドの経営者も、とびきり
頭のいい男でしたし、「あいつにできるなら俺たちにも・・・」なんて考えられる対象ではなかったと、今なら冷静に判断できます。